僕にとって「覚悟の年」だった今年。
2013年から5年間勤めた昭和音大を卒業する年に、1年かけて「好きなこと」を仕事にする準備をして退職したはずが、トンネルを抜けた先は崖。
そこから見えた景色はこれまでと変わらない景色で、豪語してたことは口だけに終わった絶望と屈辱の2018年から1年の年月を経た今年。
去年は悔しくて忘れられない年になったけど、今年はやり切って忘れられない年になりました。
今年、何があったかはSNSやブログで発信してきたので、2019年の最後は今年どんなことを考えたかを振り返っていこうと思います。
絶望と屈辱を経て迎えた覚悟の年、失敗は全力で取り返す。
自己分析
「好きなこと」を仕事にすることに熱量を注いで準備してだけど、一つだけ見落としてたことがあった。
それは「好きなこと」がどれだけ世間で求められているかで、ここのギャップがあればあるほど「好きを仕事に」で食えなくなる。
食えなくても、稼げなくても好きなことをやって生きていくというのは、アーティスティックでカッコイイ生き様かもしれないけど、僕は一社会人として働いて稼いで行きたいから、ここはしっかり向き合う必要がある。
だからもう一度、自己分析からはじめることにした。
「好き」や「得意」の原体験に会いに行く
自己分析はノート2冊くらいやった。
書くのが恥ずかしいくらい少ないけど頑張ったつもりで、幼少期から今までの人生を掘り返して「好き」が生まれた原体験と「得意」と感じた原体験を見つけ出す。
こうして「好きなこと」に加えて、得意なことを得意と感じた原体験に会いに行って、伸ばすべきところを絞る。
熱量が湧き出る源泉に触れることで「あぁ、俺はこの体験をきっかけに今こう考えてるんだよな」と思い出し、今やるべきことが何だかわかった。
今やるべきことがわかったら、次は整理整頓。
「何でもやります!」と広げ続けた風呂敷をたたむこと。
風呂敷を畳む、余白を作る
今やるべきことがわかったら、やらなくて良いことを徹底して省く。
今の自分には必要がないことを省いて余白を作る。
余白がなければ新しいものは入ってこない。
「何でもやります!」から「これならできます!」へ進む過程に必要なのはやめる勇気。
覚悟と根性
「何でも屋」から「専門家」に進む過程には何かをやめる、畳む勇気がいる。
この世界に身を置いて、音楽を稼業に生きる覚悟を決めたら安心安全な場所にいるだけでなく、時には身の丈に以上のことを「できます」と言ってそこから全力で実力とのギャップを埋めに行く根性なんかも古い価値観かもしれないけど大切かと思った。
他人の芝はいつだって青い
最近は「好きなことで生きていく」なんて言葉が流行って、会社にとらわれない自由な生き方や、好きを仕事になんてメッセージを見かける。
SNSを見てみると隣の芝はいつだって青い。
だけどキラキラな世の中に惑わされずに地に足つけて泥臭く、今やるべきことをやる。
「やるべきこと」をしっかりと
「好きなこと」や「やりたいこと」と「やるべきこと」は同じだったりそうでなかったり人それぞれ。
僕の場合はそのギャップがちょっと広めで、今年は自己分析でたどり着いた「やるべきこと」をやってきた年でした。
だからって去年がダメだったんじゃなくて、去年の失敗の先にあるのが今年。
おわりに
2019年を駆け抜けた先に見えたのが崖ではなかったことは本当に嬉しかった。
去年と違う景色を見ることができたのは、僕に声をかけてくれて演奏したり、レッスンをする場所があってこそ。
今年、仕事でお世話になった全ての方に心から感謝を伝えたいです。
ありがとうございました。
また来年、レッスンや演奏の現場で今年お世話になった方々、そしてSNSで繋がっているけど会ったことのない方々にお会いできるのを楽しみにしています。
2019年お疲れ様でした!
良いお年をお迎えください。