コントラバス奏者、吹奏楽指導者、よこはま月曜吹奏楽団指揮者の井口信之輔です。
オンラインコミュニティ「コントラバス研究室BASSROOM」の運営をしたり、オンラインでもレッスンをしたりしています。
最近、誹謗中傷に関するニュースを多く見かけますが、僕も少なからずSNSをはじめとしたインターネット上であることないこと書かれたり、名前を出されて悪口を書かれた経験があります。
基本的にスルーしていますが、最初は胸を突き刺されるような気持ちになりました。
今日はその中でも、とても興味深く思った一言について考えてみようと思います。
やめればいいのに
いつだったかインターネット上に僕の名前とともに
井口は演奏で食べていけないならコントラバスなんて辞めたらいいのに
ということが書かれていました。
その前後のやりとりを見ても120%僕のことだと分かります。
楽器を辞めるかどうかは僕が判断することなので「コントラバスが好きなので続けます」
という返答をしておしまいなんですが、このことについてもう少し考えてみました。
物事は「点」で捉えないほうがいい
「演奏で食べていけないなら辞めたらいい」っていうのは誰かの願望だったり、前後のやりとりを見て生まれた感情的な言葉かもしれないけど、これらのやりとりを眺めていると
- あいつは演奏で食べていけない
- だからレッスンをしている
- 演奏で食べていけないならコントラバスを辞めた方がいい
というような流れだったように記憶していますが、僕はわりと自分のこれまでの活動をSNSで書いているので、なぜ僕がレッスンに力を入れているかは見たらわかると思うんですね。
発信が許される範囲
演奏活動をあまり発信しない理由は、演奏会やイベントなど一つの「本番」は様々な権利が絡んだり、それを楽しみにしている人たちに届ける導線が設計されているため個人が勝手にSNSで発信することで誰かの楽しみを奪ってしまったりします。
なので、僕たちは作り手の一人としてそれを徹底して守ります。
個人でやってる活動や受注する仕事であれば発信するのが自由なものも多いですが、企業やさまざまな組織が絡んで作り上げる企画は、演奏家一個人の発信がどこまでOKなのか確認をしていく必要があるんですね。
それから、演奏の仕事とレッスンの仕事の生まれ方を考えてみると
- 演奏の仕事
音を聴いたり一緒に弾いたりする中から生まれる口コミでご縁が生まれることが多い
- レッスンの仕事
自分の考え方や指導法、発信しているノウハウなんかを見て興味を持ってくださった方から直接依頼を受けることが多い
っていう風になる。
ここまで考えたとき「SNSでどんな発信をする?」と問いかけて次にいってみます。
僕の活動スタイルと「教える仕事」に思うこと
少しだけ自分の話をすると、演奏の仕事もしていてレッスンとの割合を考えてみると、実はコントラバスを弾いていることの方が多かったりします。
それを決定づけたのが今回の新型コロナウイルスで、2月から演奏会が98%の確率で中止になっているので非常に詰んでいます(笑えない)
活動の軸は夏の吹奏楽指導(魂売るレベル)にして、一年間コントラバス奏者として演奏の現場で学んできたことを翌年の夏に全てアウトプットするように活動を設計しています(これで自分がどれだけ成長できたかわかるよね)
それからコントラバスをはじめ音楽のレッスン、つまり教える仕事って「演奏で食べていけないからレッスンをしてる」というような理由で務まるような仕事じゃないんですね。
レッスンという時間を通して「新しい景色を一緒に観に行く」と考えると、専攻楽器の知識と技術が太い幹となってそこから何本も枝分かれして育てていくプラスαのスキルが必要になってくるんですね。
指導者というポジションから音楽に関わってる方々が日々研究を重ねているのがそれを物語っています。
ここまで同業者であればわかるはず(まさか書いたの同業者じゃないよね?)
もし悪口を書いたのが同業者であれば
ここまでいろいろ書いてきて、もし僕に対する悪意ある言葉を投げかけたのが同業者(音楽家)だとするとちょっとヤバいので少し考えてみてください。
今、とりあえず2020年でここ10年くらいで音楽の仕事ってかなり幅が広がりましたよね。
道を選ぶ時代
僕が音大を出た2010年はもう少し選択肢が少なく、また「音楽家の仕事」ということに関しても全体的に狭い視野で考えられていたように思います。弦楽器であればオケに入れるかどうかというのが一つの区切りのような感じがしました。
卒業してからは「演奏で行くの?指導者になるの?最終的にはどうするの?」と聞かれることも多く、いろんな活動をしながら最終的には活動を一つに絞るような感じ。
個の時代の到来
2010年からの流れを全部書くとキリがないので2016年くらいからの話をすると、この頃になってブログやTwitterで楽器の奏法やレッスンのノウハウを発信する人が増えました。
いわゆる個人がインターネットを使って「活動日記」ではなく「専攻楽器の知識やノウハウ」そして生き方や考え方を発信しはじめたのがこの頃。
演奏家、指導者という縦の壁が目に見えるように溶けはじめ、一人一人が自分の専門性や得意分野、好きなことを掛け合わせた活動をはじめたりした時期で、僕もその一人です。
コミュニティ、チームの時代へ
個の時代は2018年くらいまで続いたと思っていて、今はコミュニティやチームの時代。
僕であればSNSでの発信を通して生まれたご縁、コミュニティを、偉そうにいうと育てる時期に2019年から突入しました。
言葉だけだと説得力がないので、大好きな「よこはま月曜吹奏楽団」を例に出してみると、2017年の冬にブログをきっかけに新しく立ち上げる吹奏楽団の指導依頼をいただき、2度の演奏会を経て企画バンドから神奈川県で活動する市民バンドとして生まれ変わり活動している吹奏楽団の指揮者を務めています(よく誤解されますが立ち上げたのは僕ではありません!)
楽団には一人一人大切な仲間がいて、活動を支えるチームや組織があって、僕は指揮者というポジションから音楽的なサポートをしています。
弦楽器のトレーナーを務める「シンフォニックアンサンブル・ブーケ」というオーケストラの話もしてみると、やっぱり個人の演奏活動を通して生まれたご縁が楽団のトレーナーとして招いてくれて、合宿では指揮者を中心に講師や楽団員が一つのチームとなって音楽に向き合い、こうした現場での経験は他の現場で生かし、そこでいただいたお金でご飯を食べています。
良いチームを持てるといいね
最近では、僕の関わっているいくつかのコミュニティでメンバーとタッグを組み、自分たちが受けられるコロナの支援情報をシェアしたり、エントリーして企画を立ち上げ撮影日を打つ合わせたりしたり、もう完全にチーム戦。
もし、一人だったら心がやられちゃってるかもしれません。
新型コロナウイルスでよりコミュニティやチームの結束力は強まり、良いチームは確かな情報、広い視点からのアドバイス、ダメ出しのフォローまでできる仲間がいます。
となると、話が戻って物事を「点」で捉えらのではなく、せめて「線」で捉えられるようになると良いと思うんですね。そうすれば感情的な悪口なんて書くこともなくなるはず。
なので、もしインターネット上で見かけてしまった「演奏で食べていけないなら楽器やめた方がいい」という僕に対する悪意のある言葉を書いたのが同業者であれば、頭の中が10年くらい前で止まってる可能性があるので、ざっと書いた時代の流れを読んでみると良いと思います。
そんな言葉、一言も出てこないはず。
他の悪意ある言葉もそうですが、仕事に支障が出た時点で動きます。
自分の軸を生きた方がいい
また最初に戻るけど、自分の人生なんだから何をやるかは自分の自由。
なので「楽器なんて辞めたらいい」と言われても楽器を辞めるかどうかは僕が判断することなので「コントラバスが好きなので続けます!」としか返答ってできないんですよね。
過去に「〜はやめた方がいい」って言われてやめたことがあったんですけど、僕は手を止めて相手は言ったことも忘れて最高のバッドエンドでした。
自分の足で歩くのは自分なので、自分の軸を生きていくのがいいと思うんですね。
残酷な話を少しだけ最後に
一応、音大を出て10年間泥臭い生き方をしてなんとかご飯を食べてる身として肌で感じてることがあって、過度に他人を悪く言っている人や牙を向ける人って年々見かけなくなるんですね。
それか、うまくいかなくて苦労している人が多い印象です。
その時間でちょっとだけでも時代の流れを読んで、幕末から明治維新あたりの歴史を紐解いてみると今後の活動のヒントになるんじゃないかと思っています。
おわりに
インターネット上に書かれた悪意のある言葉について考えてみたら、ずいぶんと長い記事になってしまいました。
嫌なことには嫌だということも大切ですが、今日はその言葉を目にしたときに感じた違和感を書いてきて最後に思うことは、インターネットに投稿するとき「その言葉、本人の前で言えるか?」と自分に問いかける、そうした想像力のある人が増えたら良いなということ。
だって仕事できる人、他者への想像力やばくない?
それでは、また。