僕はSNSで議論することが好きじゃないから、タイムラインに流れてくるTwitter上の議論は外からぼーっと眺めてる。
で、何かつぶやいてみようかと思った時にボソッとつぶやく。
次はもう全く違うことを考えてたりするけど、頭の片隅でタイムラインで目にした投稿について考えてみたりすることが今年は多くあった。
特に「クラシック音楽の敷居は高いのか低いのか」って話はたびたびSNS上でいろいろな意見が飛び交い眺めていると、とても面白かった。
今、ブログで今年を振り返っている最中なので今日は、クラシック音楽の敷居について思うことを書いてみようと思う。
結論から先に書くと、僕はクラシック音楽の敷居は「高い」ほうが良いと思う。
で、どうせ「高い」ならめちゃくちゃ高く。
天空に浮かぶ、お城みたいな感じで良いと思ってる。
でも、本当に大切なのはこの「天空城」までの導線を描くことで、現代を生きる音楽家がここをしっかりとデザインすることで先人たちが残してきた、そして築き上げてきた文化を次の世代へと繋いでいけるんじゃなかって思った。
目次
「0か100」じゃなくて「1から99」で考える
クラシック音楽の敷居は「高い」と言ったところで、じゃあ「クラシック音楽の敷居は高くなんてないよ!もっと気軽にコンサートに来て」と言っている人たちを否定しちゃいけなくて「高い」と思うからこそ「低い」ところから「高い」ところまでの導線を作る。
この導線を作るところが「1から99」ってところで、ここには大きなコンサートホールから地域の文化施設、学校のホールや体育館、街角の野外ステージや幼稚園に保育園、街の児童館や老人ホームまでたくさんの場所があるし、きっともっとあるから書き出したらキリがない。
「はじまりの1」と「おわりの99」はどこなのか
こうして書いていると、心の中から「じゃぁ1と99はどこなんですか?」と突っ込みが届く。
この問いには僕なりの答えがあって、いわゆるアウトリーチ活動が「はじまりの1」を担っていると考える。
僕はアウトリーチが大好きで、年中アウトリーチ公演に参加している。
ここで「アウトリーチ」という意味を調べてみるとこんなことが書いてある。
アウトリーチ
公的機関、公共的文化施設などが行う、地域への出張サービス。例えば公共ホールがプロのアーティストを地域の学校や福祉施設に派遣してワークショップ、ミニコンサートなどを行う普及活動。
出典:コトバンク:知識蔵の解説「アウトリーチ」
難しい言葉はわかりやすく噛み砕いたほうが良いし、僕なりに噛み砕くと「アウトリーチ」で大切なのは、その世界への玄関口を広く開けることだ。
ディズニーランドは広い入り口を抜けると笑顔あふれるキャストの人たちが「ようこそ!」と手を振って出迎えてくれる。
「アウトリーチ」が担うポジションはここだ。
どんな世界だって、テーマパークだって入り口があって地図を受け取り、自分好みの場所へと行く。
だから「はじまりの1」となるアウトリーチはとっても大切。
「アウトリーチ」は奥が深い
その道を極めている人たちのアイディアには度肝を抜かれるし、目の前の人たちに楽しい音楽を届けようとしている人たちとの演奏はとっても楽しい。
昨日もとある演奏会を聴きに行き、面白そうなアイディアをたくさん見つけたので演奏を聴きながらずっとメモを取ってたら両隣の人が不思議そうに僕の手元とをチラチラと覗き込んでいた。
悲しいけれど
残念なことに、こうした仕事を見下されてしまうこともある。
僕も心ないことを言われたことがある。
でも、そういう人はいずれ見かけなくなるし少しだけ怖い話をすると、演奏会の中である楽器体験や舞台に上がってきて一緒に参加してもらう人を「挙手」で募り、何十人そしてホールであれば何百人って中から一瞬で舞台を盛り上げてくれる人を選ぶ観察力を持つ人たちだ。
多分、何を考えているかなんて一瞬で見抜かれてしまうと思う。
玄関口を広く開けて
話を戻すと、アウトリーチはテーマパークの入り口のポジションで、どうやらここは「音楽史」をテーマに作られた巨大なテーマパークだ。
さぁ、入り口で受け取った地図には、いろいろな音楽会の案内が書かれている。
あっちでは「0歳からの親子コンサート」が開かれて、こっちではテレビのCMやドラマで使われた音楽を集めた「ファミリーコンサート」が開かれている。
オーケストラって思ったよりも身近な存在なのかもしれない。
さぁ、どこへ行く?
地図を片手に歩いていると、街中で小さなオーケストラが演奏をしている。
こんな小さな編成も、オーケストラって呼ばれるのかと考えると、キャストの人が、こんなことを教えてくれた。
これは「サロン・オーケストラ」と呼ばれる指揮者を置かないピアノ付き小編成オーケストラで、まだCDがなかった時代に舞踏会やパーティー、そして街中に出向いて生演奏を届けていた、音楽の屋台のような存在だ。
彼らの存在が生演奏普及のきっかけになったと言われているらしい。
すごいぞ!大人の本気のピアニカ
また少し歩いていると、ピアニカを持った5人組が行進してる。
いきなり歌を歌い出すし、ピアノも弾き出す。
何より、学校の授業で使ったピアニカってこんなことができるのかと驚く。
そういえば、ピアノを左手で弾きながら右手でピアニカを吹いていた人もいた。
一人二役、まるで誰かと演奏しているみたいだ。
こうして、思ってもいなかったクラシック音楽の魅力に気がつくと、いろいろな音楽に触れてみたいと思ってくる、と思うんだ。
作ろう!世界で一つの手作り楽器
とある建物に入ると、さっき楽器を演奏していた人たちがマスクをして軍手をはめて何かを作っている。
部屋の中に入ると懐かしい図工室のような匂いがしいて、子供達が机に座って何かを作っている。
これは「楽器作りワークショップ」らしい。
木を切ったり、紐を結んだりしながら世界で一つだけの楽器を作る。
最後はみんなで音を出しておしまいだ。
これ、夏休みの自由研究の作品として出しちゃえばヒーローになれるかもしれない。でも待てよ?同じクラスメイトがいたら大変だ。
部屋を出ようとすると何やら変わった鉄の塊が置いてある。
置いてあるハンマーで叩くと良い音がしたけど「鉄道のレールの一部」って書いてあって驚いた。これも楽器にしてしまうらしい。
勝手に持ってきたのか?だとしたら大炎上するぞと思いながらも、そこに書かれていたのは「金庫を作る鍛冶屋を讃えて作曲された」と、この鉄道のレールが楽器として使われる曲の解説が書かれている。
こうした、身近なものも楽器となって曲の中で使われていることを知ると、生でオーケストラを見てみたくなると思う。
オーケストラ×◯◯
オーケストラに興味を持って、また地図を開いてみるとどうやら「クラシック音楽」以外にもいろいろなジャンルの曲を演奏するらしい。
階段を上った先にずらりと並ぶ列に並んでみると、コンサートホールにたどり着いた。客席の数は1,000席くらいで満席だ。
最後尾にいたからか、手に取ったプログラムを眺める間もなく拍手が起きて指揮者が登場。
何を演奏するのかもわからないまま、指揮者がタクトを振り下ろすとホールいっぱいに鳴り響くファンファーレに胸が熱くなった。
ドラクエだ。
オーケストラが演奏するのは、クラシック音楽だけではないらしい。
ゲーム音楽や映画音楽、テーマパークの音楽などなどジャンルを超えた楽曲を演奏しているのも、こうした企画がどこまで知られているかはわからない。
オーケストラが奏でるドラゴンクエストの世界に耳を傾けると、数々の冒険の記憶が蘇る。
最愛の恋人を非道な人間に殺され自我を失い破滅への道を歩む魔族の王、本当の悪はどっちだったのか。「眠れる森の美女」のワルツを思わせる音楽は親子三代にわたる壮大な冒険物語の幸せなひと時を描き、夢と現実と二つの世界を行き来する不思議な物語の結末はとても悲しく、最後に巨大な城が天空へと昇るシーンで全てが繋がったことを思い出した。
弦楽器のいないオーケストラ
また別の場所では、弦楽器のいないオーケストラと同じ形態の楽団が演奏をしており、客席には制服を着た中学生や高校生がたくさんいる。
聴いたことがない曲だなと思ったけれど、今日初めて演奏された曲らしい。
曲が終わると作曲家が登場したけど、ずいぶんと若い。
作曲家が生きていることに驚きだけど、なんとTwitterもやってるらしい。
この弦楽器のいない管楽器と打楽器だけの形態を「吹奏楽」って言って日本では中学校や高校にもたくさんの吹奏楽部があるそうだ。
弦楽器はいないかと思ったら、右端に大きな楽器があった。
弦バスというらしけど、これは吹奏楽ならではの呼び名でコントラバスという楽器だそうだ。
オーケストラしか聴いたことがなかったから、今目の前で、リアルタイムに新作初演が行われていることに感動を覚える。
ベートヴェンやブラームスが生きた時代も、こうして誰かの新作が演奏されてはいたのかと思うと、ワクワクする。
吹奏楽とブラスバンド
司会の人が「ブラスバンド部の演奏でした」と言ったときにボソッと誰かが「吹奏楽だよな」とつぶやいていたのが聞こえた。
吹奏楽とブラスバンドは何が違うのか、詳しく書き始めたらきりがないけど「ブラスバンド」は金管楽器と打楽器で構成された形態だようだ。
このあと、この場所でイギリス留学帰りの若き指揮者による演奏会が開かれるみたいだ。さっきの吹奏楽は最後に「宇宙」をテーマにした音楽を演奏したけど、次のブラスバンドも同じ曲を演奏するようだ。
同じ曲を違う形態で聞き比べるのだって面白い。
オーケストラと吹奏楽で同じ曲を演奏すると、どうなるんだろう。
きっと好き嫌いが分かれるのかもしれないけど、好みなんて人それぞれさ。
レストランに足を運ぶと
お腹をすかしてレストランに足を運ぶと、メニューはカタカナ横文字だらけ。
ふと目に留まったのが「ロッシーニ風◯◯」
そうかと思えば、ダンディなコントラバス奏者とチェロのおじさまによるデュオがはじまった。演目はロッシーニの「チェロとコントラバスのための二重奏曲」
ロッシーニが誰だか知らないけど、調べてみたらイタリアの作曲家。
たくさんのオペラを書いて、なんと美食家としての一面もあったようだ。
食事をしていると「乾杯!」という掛け声と共に陽気な音楽が聴こえて来る。
「乾杯の歌」というオペラのシーンで流れる曲らしいけど、オペラなんて格式高いものは見たことがない。
おすすめは「ドタバタ喜劇」から
でも、少しだけ物語を調べてみると、酒に酔ってこうもりの格好をしたまま酔っ払って外で寝ちゃったり(渋谷のハロウィンかよ)仮面を付けた美しい女性が自分の奥さんだって知らずに口説いて終いにはお酒のせいってことにしたりとずいぶん都合がいいけど面白そうだ。
壁に貼られたポスターを見てみると「ヴェルディ作曲 歌劇「アッティラ」演奏会形式」と書かれており、演奏会形式って何だ?って調べてみると、舞台装置や演出のないオペラの形式らしい。
舞台はオペラの物語をイメージしたセットではなくオーケストラがいて、そこに歌手が出てきて物語を歌う。でも、歌手は芝居をしてくれりととっても面白そうだ。はじめてオペラに触れる人たちにも、とても良いコンサートだと思う。
洒落たバーでお酒を楽しみながら
夜になって、僕たちが飲みに出るに及んで…
どこかで聞いたことのある曲名だけどそれは置いておいて、どうやら音楽家っていうのはお酒が大好きらしい。
洒落たバーの扉を開けると、ドレスを着た美しい女性や男性ユニットが音楽を奏で、人々は食事やお酒を楽しみそれぞれのひと時を過ごしている。
中には入り口で会った「サロン・オーケストラ」の人たちもいて、演奏の合間に「まだCDがなかった頃は、パーティーでお酒や食事を楽しみながら生演奏に耳を傾け過ごしていました」なんて話をしている。
音楽教室を覗いてみると
また少し先に進むと「音楽教室」といった看板が出た建物がある。
少し中を覗けるようになっていて、講師による体験レッスンなんかが行われている。
ずらりと並んだ小さな部屋では大人から子供までが楽器を習い、どうやらここでは年に一度、音楽教室の生徒と先生によるオーケストラの演奏会が開けれるようだ。
音楽家って楽器を演奏する人のことを指すのかと思ったら、そうではないらしい。こうやって教室で音楽を、そして楽器を教える人たちが音楽の裾野を広げていく。そして、また演奏とは違ったスキルが必要だってことを知った。
音楽教室にも、演奏会のチラシがたくさん貼ってある。
音楽教室の先生も演奏をする。
「平日休みでも、吹奏楽がやりたい!」なんて書かれたチラシもあった。
長き道の先にあるホールにて
実はこのテーマパーク、高い塔になっていて階段を登って行く途中にいろいろなアトラクションがある。
たくさんのジャンルや演奏形態の音楽に触れて導かれた先には約2.000席のコンサートホールがあってド派手なパイプオルガンまで付いていた。
入り口では正装をしたレセプショニストが迎えてくれて、ホールへと足を踏み入れると非日常的な空間が広がっている。
ホールの人たちは正装だけど、僕たちは普通の私服だ。
そういえば、さっきまで吹奏楽の演奏会がしかも、合唱団も登場して映画音楽なんかが演奏されていた。ポスターを見てみると、名作映画の数々がプログラムとして並んでいたし、面白いコンサートだったに違いない。
聴けなかったのは残念だけど、最後にオーケストラの公演を聴くことにする。
手元のパンフレットを見てみると
オーケストラのパンフレットを見て驚いた。
演奏される曲が3曲しかない。
秒で終わるぞ。
いやいや、一曲ごとの演奏時間が長いのか。
そしてオーケストラの奏者が入場すると割れんばかりの拍手が巻き起こる。
奏者を見てみると、街中で演奏していた「サロン・オーケストラ」のメンバーやレストランにバーで見かけた奏者が席に着く。
音楽教室で楽器を教えていた先生もいる、こうして音楽家っていうのはいろいろな場所で活動しているらしい。
この曲、聴いたことあるぞ
演奏会の幕開けにお届けしたのはヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」序曲。さっきのレストランで聴いたオペラが始まるときに演奏される曲だ。
こうして、どこかで曲に触れていると、オーケストラも身近に感じる。
続いて演奏されたヴァイオリン協奏曲のソリストは、洒落たバーで演奏していた女性だ。
ここで休憩を挟んで、最後に演奏されたのはグラズノフの交響曲第5番。
初めて聴いたけど、弦楽器の重厚な響きから吹奏楽を思わせる煌びやかな響きまでを楽しめた曲だった。
演奏時間は50分ほどで、途中眠くなったけどあまり長く感じない。
いきなり聴くと疲れるかもしれないけれど
いきなりオーケストラの長い曲を聴くと、ちょっと疲れちゃうかもしれないけれど、気軽に足を運べる街角や「ファミリーコンサート」なんかから音楽に触れてみると、長い曲だってへっちゃらだと思う。
辛いラーメン屋さんに初めて行って、そのお店の激辛ラーメンを食べたらきっと大変なことになるよね。
まずは、普通の辛さから初めて最後に北極へとたどり着く。
蒙古タンメン中本の話だ。
高い塔の頂上から見える景色
最初はテーマパークの話なんてする予定はなかったんだけど、書いていったら一つのお話のようになっちゃったので、高い塔の頂上から見える景色の話をしてみる。
高い塔の頂上にあるのは、天空にそびえ立つお城だ。
ここで、コンサートが行われていた。
コンサートを聴き終えてお城を後にすると、頂上からは夜のテーマパークが広がり、またいろいろな場所でいろいろな演奏会が行われている。
「サロン・オーケストラ」にいた人は音楽教室へ、洒落たバーで演奏していた人たちはオーケストラの中で、吹奏楽部が演奏していた舞台ではプロの楽団が演奏していて、中高生も一緒に「星条旗よ永遠なれ」を演奏している。
そして気が付いたのが、この塔は登るにつれて演奏時間が長くなり、奏者が増えて、チケット代が少しずつ上がってくる仕組みになっていた。
チケット代が上がってくるのは、それだけ奏者が増えて舞台にも必要な人たちが増えてくるから納得だろう。
こんな感じで、クラシック音楽の敷居話の「1から99」の導線について書いていったら、いつのまにか一つの物語になってしまった。
でも、僕はこんな感じに思っている。
新しい時代に生まれたもの
お城からの帰り道、ドラゴンなんかがいたら背中に飛び乗って一瞬で帰れるけれど、そうはいかない。
塔を降りていると、なんとかサロンという不思議な入り口を見つけた。
人々は入り口の前で興味津々、半信半疑に不思議そうな顔をしているけど、手続きをして中に入るとここでは「音楽家と仕事」について、様々な視点から音楽に関わる人たちがトークをしたり、意見を交換したりする小さな村のような場所になっていた。
一般企業に勤めながら演奏活動をしている人たちもいて、村人たちは興味深そうに話を聞いている。
どうやら「オンラインサロン」というらしい。
カフェの片隅で
無事に塔を降りてテーマパークを後にするとして、帰りにコーヒーを飲むとする。
すると、カフェの片隅で音楽大学卒業を控えた人たちが何やら話をしている。
聞こえてくる話をBGMに過ごしつつ、自分なりの答えをそっと出してみる。
- 自分のやりたいことがわからない
まずは、いろいろやってみる。ただやるじゃなくて「意識的に」いろいろな演奏スタイル、ジャンル、仕事を「意識的」にこなしてみると、自分の好きなことや得意が見つかるはずだ。
- 自分のやりたい音楽は世間に必要とされてるのか
これ、きっと悩む人めちゃくちゃ多いし自分もその一人だった。ここで大切なのは「やりたい音楽」と「世間が求めてる音楽」のギャップがどれくらいあるのか、その差をどうやって埋めていうかを考えていくのが大事なんだと思う。これを音楽だけで解決しないで、ビジネス書とか他ジャンルをヒントにしてみる。
- なんか面白いことしたい
まずは自分が面白くなることだと思う。「お前はここが面白い」って言われているものはあるか。
誰かに心配されるレベルで打ち込めるものなんかを探してみるのも良いと思うんだけど、もし「そんなに打ち込めるものはない」って思ったら、生まれてから今までの人生の中で「好き」が生まれた原体験を探してみる。今、好きだったりハマってるものに出会うきっかけ。就活でいう自己分析をめちゃくちゃやる。
僕だったら、高校吹奏楽部で吹奏楽に出会ったことで、そこから弦楽器の目線で吹奏楽の指導をする人って見たことないって思ってそこを狙ってみた。
ここまで書いてきて、ふと我に返ってきたのでこのお話を終わりにするね。
おわりに
SNS上でたびたび目にしてきた、クラシック音楽の敷居話。
冒頭にも書いたけど、議論に参加するのは好きじゃないから流れてくる投稿を眺めていたんだけど、眺めながら考えていたことを書いてみました。
で、書いてたら少しずつ話が盛り上がってきて「クラシック音楽」を一つのテーマパークにしてみようと思ってこんな感じになりました。
僕がクラシック音楽に出会ったのは中学生の頃。
ドラゴンクエストのCDを聴いて、これがその世界への入り口でした。
昨日、Twitterに書いたように
クラシック音楽の敷居は高くあって良いと思うけど、そこまでの導線をしっかりとデザインするのが現代に生きる音楽家の役目であって、僕は「クラシックって、おもしろいね」と感じてもらえるようなコンサートを身近な場所で展開していき、クラシック音楽の玄関口を広く開けて、たくさんの人たちを迎え入れたいと思う。
誰かが玄関口を広く開けて待ち、また誰かがそこからの導線を作り、また誰かが日常を忘れてしまうような極上の時間を作る。
こうして、先人達が残して、そして築き上げてきてくれた文化をそれぞれのポジションで次の世代へと繋いでいけば良いんじゃないかな。
僕は、クラシック音楽の敷居話についてこう考える。
おしまい。