先日、音楽をやっていると一度は経験したことがあるかもしれない上手い人の隣で吹く、叩く、弾くと自分も上手くなったように感じるのはなぜ?という話をしたら面白いって声をいただいたので書いています。
上手い人の隣で弾くと、自分も上手くなったようになる。
とっても弾きやすいというのは僕も学生時代に何度か感じたことがありました。
なんか不思議ですよね、何でだろう。
上手い人って何が違うの?
まず技術的な経験値というのもありますが、それ以上に感じている情報量の違いだと思っています。
情報量を感じるというのが少し曖昧ですがここを紐解くとなる「なるほど!」ってところにたどり着くと思います。
合奏の中で周りを聴いてとかアンテナを張ってと言われることに近いです。
まず、合奏をすると一気に多くの音が情報として入ってきますよね。
例えば、僕の大好きな吹奏楽作品でスティーヴン・ライニキーという作曲家の『セドナ』という曲があるのですが、この作品を例に出すと
- 冒頭のスネアが軽快なリズムを出して金管楽器が華々しいファンファーレが鳴り
- それに続きて木管が上行する音形を使って駆け上がっていく
という流れになります。
その動きが何度か続き、いかにも「これぞ吹奏楽!」って感じで中低音の楽器から生まれるシンコペーションのリズムに乗って音楽が進んでいきます。
ここで冒頭のスネアドラムのリズムをB♭→Esという音の進行で感じてみると、より華やかなファンファーレを飾るためのエネルギーというか、推進力が生まれたりします。
これだけでもかなりの情報量ですが、この各場面をもう少し分解すると
- スネアが入ってくる前に頭の中に曲のテンポが流れている
- スネアのリズムからどんな呼吸、準備をすれば良いかイメージできる
- 金管楽器のファンファーレのフレーズをどう吹くかイメージがある
- 前後の金管楽器の動きから、木管楽器の上行する音形の方向性がイメージできる
- 9小節目からは、どの楽器の動きに乗っていけば良いか
こうした情報を演奏する前、あるいは演奏中に感じながら演奏をしているとそれらが身体のどこかで出るというところ。
指揮のレッスンでも「右手でフルートの入りだけ感じればここは左手で合図は出さなくて良い」と言われたことがありました。
これが確かにそうなので、不思議なものですよね。
内側から生まれる音楽に導かれ
これは、好きな音楽を聴いてると自然に体が動いているって感じに近いです。
そして本人は気づかず出ているそうした動き、仕草って隣に良い影響を与えいくんですね。
感じている情報というのに正しい答えや正解はないので、基本的に人それぞれでOK。
べき論もなければ、こう吹かなくてはならないという決まり事もありません。
最後にカッコつけて結論づけるとその人の感じている音楽に導かれていくのかな、ということろに辿り着きました。
今日はそんなお話でした。