コントラバス奏者、指導者の井口信之輔です。
クラシック音楽の世界でコントラバスを弾いたり、中学高校の吹奏楽部をはじめとした音楽系部活動でコントラバスを教えたり、取手聖徳女子高等学校音楽科にてコントラバスの講師をしています。
先日、『note』というプラットフィームにて有料の記事を販売しました。
『note』は、つくる、つながる、とどける。をテーマにクリエイターが文章やマンガ、写真、音声を投稿することができ、ユーザーはそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームで、僕は優しいインターネットと表現しています。
何を書いたかというと、音楽の世界、またSNS界隈では定期的に話題に上がり議論が繰り返される音楽家とお金の話。
フリーランスで活動する音楽家のギャラ交渉(出演料・レッスン謝礼)と金額設定のはなし。実体験に基づく数字を交えて本音を語る。と言うタイトルで僕が思う本音を綴ってきました。
お金の話がタブー視されがちな現代の日本では、かなり踏み込んだところまで書いているので、その部分を有料として販売する形を取りました。
踏み込んだと言うけれど、クローズドな部分で誰かを名指ししているわけでもなく、誰かを批判しているわけでもなく、具体的な金額を交えながら実体験に基づいた自分が過去に行動してきたものを書いてきたと言うところです。
そして、一週間はフリーランスと音楽家のお金のこと、キャリアのことについて発信してこようと毎日このような形でブログを更新しています。
今回は自分の回想録。
先日、お金に苦労したり、仕事が上手くいかなかった時に少しだけ身を置いた場所に立ち寄ったら懐かしい記憶が蘇ってきたので、少しだけ時計の針を戻してみようと思います。
目次
悔しさを噛み締めた時を求めて
僕はふと過去を振り返ったり、過去の記憶に浸りたくなるときがあって「あのとき大変だったな」とか「よくやったよな」なんて思いながら思い出に浸るのが好きだったりする。
先日、結婚式の写真が出来上がったとホテルのブライダルサロンから電話があり、千葉へ仕事にいくタイミングで受け取りに行ったとき、ふと懐かしい場所を思い出して車を走らせてみた。
それは、仕事が上手くいかなかった時、悔しさを噛み締めながら日雇い派遣のアルバイトをしていた港の倉庫。あれはいつだったかな、音楽一本でやっていくぞと意気込んでた頃。たしか1年くらいの準備期間を経て、スタートダッシュを切ったんだけど数ヶ月もしない間に失速。
結局、振り出しに戻るようにアルバイト生活に戻った時期のお話です。
海の見える倉庫の記憶
この頃は、音楽一本でやっていくというのが目標で、誰よりも熱い気持ちで誰よりも情熱を持って誰よりも強い信念を持ってこの年が勝負の年だと賭けてきた。
既に一本でやってはいたんだけれど、年間を通し収入の軸となってた大学での仕事の契約が満了するにあたり、完全に固定の仕事がゼロになる状態でのスタートだった時期。
3月で契約が終了となる大学の仲間が送別会を開いてくれて、みんなの前では将来のビジョンや夢を語り「神奈川県に活動の幅を広げていく」と豪語する。そして4月になって出だしは好調、そのまま一年で一番忙しい夏へと突入し、これで軌道に乗ったと思った矢先、失速。
音楽だけでは生活していくのが難しくなり、再びアルバイト生活に逆戻り。
そこでたどり着いたのが、日雇いで働けてその日にお金がもらえて、そこそこ良い給料が記載されて車通勤OKとある軽作業の仕事。
とりあえずエントリーしたらすぐに採用通知が来て、ナビに入れた住所を目指して車を走らせたどり着いたのは、用がなければ行かないような港の近くの古びた倉庫だった。
車はどこに停めれば良いか、中にあるプレハブにいる人に聞いたら「そこらへん」
しばらくして、ハイエースみたいな車がやってきて、運転席に座るハリーポッターのハグリットのようなおじさんに声をかけてみると「君、誰?」と一言。
どうやら、僕以外の派遣の人は車で乗り合わせだったらしく、車できた旨を話したら「そこで待ってて」と言われ隅っこで待機。素っ気ない人が多いけど、なんか居心地の良い場所だった。
ラジオ体操
軽作業というのは軽めの作業ではないというのは派遣をやったことがある人だったらわかるだろう。
海の見える倉庫に巨大なトラックが到着しては大量の荷物を下ろし、ガタイの良い男の人たちが首にタオルを巻きながら黙々と作業をする。
まずは仕事はじめに朝礼があり、その後「体操します」と流れたのはラジオ体操。
ラジオ体操は過去に吹奏楽部の指導でリトミック的に取り入れていた学校があり、けっこう得意だった。最初の運動をするとき、実はカカトが少し浮いた状態になるのでけっこうキツいのだ。
そんなことを思いながらラジオ体操の曲が流れると、ミリ単位でしか動かない屈伸や飛んでないジャンプ、あまりの適当さに笑いそうになってしまったけど、やっぱり心地よかった。
個性あふれる人たちに囲まれて
日雇いの派遣にはいろんな人がいる。
友達と一緒にエントリーした若者、無精髭でガタイの良すぎるおじさん、80年代のビジュアル系のような金髪ロン毛のおじさん、一人でボソボソ何か呟いてるおじさん、過去にどこかの派遣先で見たことあるおじさん。
なんか、喋ったら絶対面白そうだよなと思い人たちに囲まれてはじまったのは、ガッツリ肉体労働。男性活躍って書いてあったもんな。タオルを首に手には軍手、音楽家であることなんて忘れて、時折雑談を交えながらも作業を進める。
缶コーヒーの美味しさに感動した日
ガテン系の人はよく缶コーヒーを飲むイメージがあった。
僕はあまり好んで缶コーヒーを飲むタイプではなかったけど、きっと何か好んで買う理由があるんだろうなと思ってたけど、野外で一日肉体労働をし帰る前に外の自動販売機で甘いものが飲みたいと缶コーヒーを買ったんだ。確かボスのカフェラテだったかな。
で、飲んだらめちゃくちゃに美味しかった。
いつも、なんか薄いと思ってた缶コーヒーが身体に染み渡る。
少しだけ、ガテン系の人たちが缶コーヒーを買う理由がわかった気がした。
この日以降、缶コーヒーを買うと当時のことを思い出す、僕の中で缶コーヒーは懐かしい日々を思い出す装置になった。
ちょにゅうちゃん
男性活躍と書かれてるよう、ここには男性しかいない。
時折話しかけてくれるおじさんは、呂律が回らないときがあり何を言っているのか少し聞き取れなかったけど、好きなアイドルや芸能人の話をしてくれた。
で、やたらと「ちょにゅうちゃん」という言葉を連発する。
最初はうまく聞き取れず、スルーしてたけど、汲み取った方が良いのかずっと同じワードを強調してくるので前後のトークと合わせてみると、おじさんは巨乳のアイドルが好きだったようだ。
巨乳ちゃんなんて言葉を聞いたの、多分まだコンプラが緩かった昔の深夜番組以来じゃないか。
なんか鮮明に覚えてる、修学旅行の男子部屋のような話で盛り上がったおじさんの話。
元気にしているだろうか。
ノスタルジックな夕日
首にタオルを巻き手には軍手、肉体労働に汗を流しながらも、日が落ちて来ると「もうすぐ帰れる」と少しだけハイになる。
海の見える港の倉庫は日が落ちて来ると綺麗な夕焼けが見える。
海と夕焼けはキレイだ。
でも、ちょっと切ないなんだか寂しいような気持ちにもなる港の夕日。
正直、気にしすぎだよとツッコミを入れたいけれど、当時、描いてたビジョンとはかけ離れたところにいる自分に嫌気がさし、同窓会や飲み会の誘いも全部断ってた。
この先のことを聞かれるのが怖かった。
「いつ結婚するの?」と聞かれるのが嫌だった。
実は、派遣されたこの日も夜から演奏会の打ち上げの飲み会の誘いがあった。
予定はもちろん空いてる、だけど誰とも会いたくなかった。
やさぐれた心にキレイな夕日、相反する感情と情景は今も鮮明に覚えてる。
過去の自分と肩を並べて
もし、過ぎ去りし過去を尋ねることができたなら、当時の自分が運転する車の助手席にでも乗せてもらってドライブしたい。
「こんにちは!2023年の俺です!」みたいな感じでいきなり登場したらどうだろう。
当時の自分がわからなかった、自分が失速した原因も今ならわかる。
その車は今後、日本が感染症で大変なことになってる真っ只中にぶっ壊れるというのはナイショ。
ちなみに、当時、自分が失速した原因は以下の通り。
1年間準備して音楽一本でやっていけなかった原因
当時の自分の目標は、音楽で自立すること。
そのために大学の仕事があと一年で終わるタイミングで全てのアルバイトを辞め、最後の年は音楽一本で生活していくようにしていく。そして、この一年でその生活スタイルを確立させ、来年以降は固定の仕事がなくなった分は頑張る。営業はしてるし、元々、固定の仕事でそんなにまとまったお金がその仕事で入っていたわけではないので多少の収入の減少があっても大丈夫だろうと見込んでいた。
もう、この時点で計画が穴だらけで、あまりに気持ちの面でなんとかしようとしすぎてる。
唯一、評価できるのは大学の仕事があと一年で終わるタイミングで全てのアルバイトを辞め、最後の年は音楽一本で生活していくようにしていくということろ。
準備期間を設けるのはとても良い、だけれども気持ちでどうこう解決できるものじゃない。
そして、ブログをはじめた頃で吹奏楽におけるコントラバスの記事を書くのに明け暮れてた。教えることが好きで、考えてみるとレッスンに対する営業ばかりをしていた。
なので、指導校は増えレッスンの仕事は増えたけど、夏のコンクールが終わった後の演奏会シーズンに向けた準備がほとんどできてなかった。
失速した原因の一つは間違いなくこれ。
フロー型の仕事しかしていなかった
そして、もう一つの原因はコレ。
フロー型の仕事しかしていなかったというところ。
フロー型の仕事っていうのは何かというのを書いていくと、何らかの対価に応じて支払われる収入のことを指し、音楽の仕事に例えると、フリーランスの音楽家が請け負う演奏仕事全般、単発で依頼をいただくレッスン全般のこと。
合わせて継続的に収入を得られる安定性の見込める仕事としてストック型の仕事がある。
二つを簡単にまとめるとこんな感じ。
- フロー型
自分が働いてお金を得ること(持続性なし、労働所得)
- ストック型(寄り)
自分の資産(お金、SNSでの発信など)に働いてもらいお金を得ること(持続性あり、資本所得)
音楽の仕事でいうと、単発仕事か継続仕事かの違い。
で、当時の僕の手帳を見ると入っている予定の100パーセントがフロー型の仕事。
そして、その前後も、もっと言えば年間を通して受けているのがほとんどフロー型の仕事。
併せて、レッスンに特化した営業しかかけてなかったから、そりゃ上手くいかないよね。
がむしゃらにやってきたけど、気持ちだけではどうにもならない
今だったらこうやって分析できるけど、当時はわからなかった。
だって、頑張って発信して、やりたいことを声に出し、営業もして、名刺も配って、良いレッスンをして、演奏だって頑張って、とにかくがむしゃらにやってたから。
がむしゃらにやって、本気で頑張って、一生懸命やってたから、頑張れば多少はなんとかできると思ってた。でも、そうじゃなかった。
目を背けたくなるようなことかもしれないけど、頑張っても努力しても気持ちだけではどうにもならない。
アルバイトに悲観的になる必要はない
過去の自分に伝えたいことの一つで、アルバイトに悲観的になる必要はないということ。
生活をしていくにはお金が必要で、もし音楽だけの稼ぎで生活していくのが難しければ堂々とすれば良いし、何よりお金の安定は心の安定を作る。
ただ、辞める時の勇気を併せ持つこと。
実際、僕が一番キツいと思うのがアルバイト×音楽活動から音楽一本での生活にシフトしていく時期で、バイトを辞めてリハを入れるなど一時的に無給の日が増えるので、ある程度の予算を確保しておくなどの準備があるとなお良し。
悔しさを噛み締めた時を求めて
音楽一本でやっていくぞと意気込んで、1年くらいの準備期間を経て、スタートダッシュを切ったんだけど数ヶ月もしない間に失速。
けっきょく、振り出しに戻るようにアルバイト生活に戻った時期だったけど、そのときの出来事は定期的に思い出すことが多く、今は当時の悔しいという気持ちから「あの時、頑張ったよな」と感じる懐かしさになりました。
そして、缶コーヒーを買って飲むと当時の記憶が蘇ってくる。
港の倉庫から見える夕日はキレイだった。
何もかにも上手くいかなくて悔しかった
頭の中は音楽でいっぱいだった。
誰にも会いたくなかった。
久しぶりに立ち寄った港の近くの倉庫の周りは、相変わらず大きなトラックが行き来し、船が大きな鉄骨を運ぶ。夕方になる前だったから日はまだ落ちてはないけれど、少しずつ夕暮れに向けて時が進むのはわかる、海が近いからかな。
悔しさを噛み締めた場所は、時が経つと背中を押してくれる場所になる。
他のバイト先だってそう。
たまに食べに行ったりすることで、過去の自分を思い出し、よし頑張るかと気持ちが前を向く。
結婚式の写真を撮りにいく道中で見た久しぶりの景色は、頑張れよと背中を押してくれた気がした。
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