2010年3月、洗足学園音楽大学を卒業。
プロフィールにはそんなことが書いてあった気がする。
大学を卒業して8年ほど経ち30代へ突入した今、相変わらずコントラバスを弾いている。
はじめに
大学生の頃、母校の演奏会に来ていた先輩と「30までには食えるようになる」と話していたのを覚えている。
室内楽セミナーを受講した時、ご飯を食べながら講師の一人が「28くらいまでには見切りをつけるか、次のことを考えたほうがいい。30になってからじゃ遅い」と言っていたことだけ耳に残っている。
自分が30歳を迎えた時「30代になったら◯◯」みたいな本を一冊買ったのを覚えている。
もう30歳、まだ30歳。
歳の感じ方は人それぞれだけど、自分も「30までにはバイトを辞める」と自然に目標を決めていた。
31歳になった今、アルバイトはせずコントラバスを弾いたり、教えたり、演奏会の企画・制作に関わったり記事を書いたりと音楽関係の仕事をしていくことができているけど、過去の自分が描いていた姿には程遠く、少しでも暇になるとこの世の終わりのような不安に襲われることがある。
きっと、この仕事を続けていくうちは期待と不安が入り混じり続けるだろう。
音楽の世界で活躍されている先輩方も言ってたし、自分もそう思う。
そして、最近は後輩や音大を卒業したばかりの音楽家から、卒業後の進路や生き方について相談を受ける機会が多くなった。
リハーサルの帰り、電車に揺られながら、お昼休憩の時間、飲み会の席、車の中で大学を卒業してから今に至るまでの体験談を話してきた。
同世代がいろいろな場面で活躍を見せる中、僕は星の数ほどいる音大卒業生の一人に過ぎないし、今の生活に決して満足はしていないむしろ自分の力不足に不満だらけだ。
だけれど、自分の体験談が誰かの背中を押すことができたら嬉しいし、どうせなら一緒に勉強してた仲間たちと一緒に成功したい。
いつか、こうした体験談を記事にしてみようかなと思ったことが何度かあったけど「俺の体験談なんて」となかなか一歩を踏み出せなかった。
でも、相談を多く受ける機会があって書くなら今だなと思ったので書いてみます。
夢に見ていた世界
コンサートが始まる少し前、コントラバス奏者は舞台上に置いてある楽器のチューニングをする。
いわゆる舞台チューニングってやつだ。
そしてまた舞台裏へと下り、今度は楽団員がゾロゾロと出てきて着席し、指揮者が出てきて挨拶をして今度はこっちに顔を向ける。
指揮者のタクトが下りた起き、オーケストラから音楽が生まれコンサートが始まる。
ベートーヴェンやモーツァルト、ドヴォルザークにチャイコフスキー。
歴史に名を残す大作曲家が生んだ作品を奏で、演奏が終われば割れんばかりの拍手が起こる。
こんな世界に憧れて音楽大学へ入学した記憶がある。
みんなはどうだった?
30歳まで音楽を続けて感じること
大学を卒業して、手帳が真っ白になった。自分が夢見てた世界には程遠い。でも、自分が夢見てた世界は忙しかった音大生活に近いかもしれない。
合わせに場所取り、リハーサルに演奏会。空き時間に楽器を練習して夜は仲間とご飯を食べたりさっさと帰ってすぐ寝たり。明日の予定はなんだっけ?あっ!あれさらわなきゃ。
再びこの忙しい日々を過ごすにはどうすれば良いか、今もずっと考えてる。
卒業間近の話を少し
大学生活の話はお酒の席に置いといて、いつも話している大学卒業後の話をしてみる。
でも少しだけ、卒業間近の話をしておくね。
大学4年間、人前で弾くのがダメだった。
いわゆるアガリってやつだ。
そんな中、卒業試験に弾いたのは、R.グリエール「4つの小品より インテルメッツォとタランテラ」という曲。
高校生の頃、僕を育ててくれた先生に「すり減るまで聴け!」と貸してもらったCDに入ってた曲で、初めて聴いたときは衝撃を受けた。
この曲を弾きたくて、猛練習して臨んだ卒業試験。
結果、アガって手足が震えてタランテラでは破滅に向かって左手が指板を駆け回った。
最後の音の一つ前の音を半音外したのは鮮明に覚えている。
あとで講評を聞いたら「あんな早いタランテラは聴いたことない」と言われた。
そんなことで、後日成績表を見たら4年間で最低の点数を叩き出してしまった。
学生時代は人前で弾くたびに当たって砕けてを繰り返していたので、プロフィールに書けるような優秀な成績を得ることはできなかった。
30歳まで音楽を続けて感じること
良い成績を残せなかったのは悔しいよね。でも、良い成績を残したら将来が約束されているわけではない。「どんな成績を残そうが、勝負は卒業してからだ!」と思うけど、僕が言うと説得力に欠ける。プロフィールに優秀な成績で卒業したことを書いている人を見ると、すごいなって思う。
月収15.000円から始まった音楽家生活
話を大学を卒業したあとに戻そう。
ここから先は、よく話していることだらけかもしれない。
音楽大学卒業後にどんな進路があるかは、インターネット上に情報が山ほどあるので省略するね。
僕は、オーケストラプレヤーを目指していたので早朝と夜のアルバイトを2つ掛け持ちながらコントラバスの練習をしていた。
いわゆる、音大を出てアルバイトしながら演奏活動をしてオケを目指すってスタイル。
「バイトする暇あったら練習したい」って強く思ってた自分が朝と夜に働くのは苦痛でしかなくて、4月のほとんどをバイトに捧げた挙句月末に体調を崩した。
そして、バイト生活の合間に音楽の仕事が1件だけあり、アマチュア楽団の演奏会へ出演し、15,000円のギャランティを受け取った。
音楽の仕事はこれで終わり。
大学卒業した年の4月、音楽の収入は15.000円だった。
で、今当時の手帳を見てたら5月は10.000円しか稼いでなかった。
マジか。
30歳まで音楽を続けて感じること
「バイトする暇あったら練習したい!」これは学生の頃から思ってた。でも、時間があるならどんどんバイトすれば良いと思う。で、バイトしたお金の中から自分に投資する分を用意すること。バイトしながら演奏活動することは悪いことでも恥ずかしいことでもない。
家庭環境もみんな違うしね。
でも一つだけ、フリーランスなら「雇われている」ことに慣れちゃダメだ。
これはまたあとで説明するね。
音大生活、音楽への理解がないバイト先への不満
学生の頃、演奏会や練習(合わせ、リハーサルなど)を理由にシフト表に×を付けるたびに
「井口君、サークル忙しいと思うけどこの日は入って欲しいなぁ…」
と言われて「は!?サークルってなんだよ」と心の中で思う。
卒業後も「いつも昼間何やってるの?趣味もいいけどもうちょっと入れない?」という声。
こうしたことがあるたびに「音楽への理解がない!」と不満をぶちまけていた。
中には、理解をしてシフトを考慮してくれるコーヒーが美味しいお店もありました。
「俺んとこのバイト先マジで音楽に対する理解ないんだよ」と不満をぶちまけても解決しない。
もうほんとうにすみませんでした、たくさん食べに行きます。
30歳まで音楽を続けて感じること
飲食店にとって忙しい土日にあまり働けず、平日も限られた時間しか来ない人は雇う側にとっては使いにくい人材だと思うぞ。バイト先が音楽に対する理解がないんじゃなくて、特殊な世界にいるお前の説明不足。音大は大学であって職業訓練施設。フリーランスの働き方は?
フリーランスの意味もろくに理解せずフリー奏者とか言ってたからそうなる。
自分の現状を説明して、理解を得て働けば良い関係を作れるし演奏会にだって来てくれる。
進学するか、そのお金を自分に使うか
大学でずっと尊敬していた先輩がいた。
朝から晩までコントラバスを弾いてた。
僕が先に帰ると「俺はこれから部屋でさらって上手くなってくる!」と冗談交じりに言って、僕が練習をしていると部屋に入ってきて「弾いてみなさい!笑」と言ってくる。
そんな先輩が卒業する時、別の学校へ進学するという話をよく聞いていた。
卒業後、素晴らしい先生のもとで勉強しているという話も聞き、自分も卒業したらもっと勉強したいし一年お金貯めてその学校へ進学しようと思ってた。
でも「進学する意味」を考え直してみることにした
進学して何を学びたいかより、4年で学校を出ることによる不安の方が大きかった。
奨学金も借りて大学へ通っていたので、目標より不安の方が大きい自分が1年かけてお金を貯めて、足りない分をまた借りて進学する必要があるだろうか。
- もっと勉強したい
- ◯◯先輩と同じ先生に習いたい
- フリーは大変っていうからとりあえず進学する
あまりに進学したい理由が曖昧過ぎた。
もっと勉強したいなら、稼いだお金を自分に使うってスタイルは?
勉強したいことは、進学しないと身につかないこと?
その学校の卒業試験を聴きに行ったり、先輩の話を聞いたりと随分と悩んだ。
悩みに悩んで、バイトで稼いだお金は自分に使い進学はせず4年間で卒業することにした。
30歳まで音楽を続けて感じること
進学する理由は人それぞれ。絶対的な目標が持てたら進学という判断でも良かったかもしれないけど、当時の曖昧な理由のまま進学してもきっと2年後の春にまた同じ悩みを抱えるだけだよね。進学しようと思った分、レッスンに行ったり演奏会に行ったり、室内楽セミナーやコンクールを受けるお金に回したのは良かったんじゃないかな。
それと、奨学金の返済結構大変でしょ?笑
自分を売り込め!全て明かします「俺流営業法」
大学生の頃、外に行った時のために自分の名刺を作って持ち歩くことが大事だと教わった。
自分は比較的早く名刺を作って持ち歩いていたし、よく打ち上げとかで「コントラバスの井口です。機会があったらよろしくお願いします!」と名刺を配り歩いていた。
そして、初対面の人に名刺を渡して挨拶することが営業だと本気で思っていた。
お前、それは自己紹介だよしかも超一方的。
大学を卒業した頃、吹奏楽指導の仕事に関わりたくてバイト代叩いて全国の吹奏楽関係者が集まるクリニックへ泊まりで勉強に出かけた。
もちろん配り歩く名刺の準備は完璧だ。
全国から集まった先生たちが交流する会で「コントラバスの井口です。機会があったらよろしくお願いします!」といつもの俺流営業を仕掛けてきた。
名刺はみるみるうちになくなり、最後の一枚を配り終え、頂いた名刺でパンパンになった名刺ケースを見て今年の夏は忙しくなるぞ!と胸を躍らせた。
その夏、仕事は一件も来なかった。
30歳まで音楽を続けて感じること
名刺を渡すのは営業じゃなくて自己紹介。しかもお前のはかなり一方的な自己紹介。
いきなり来て名刺を出して「機会があれば」なんて相手に失礼極まりないし、何者かもわからないお前に機会なんてあるか。
視点を変えて、自分をプレゼンしてみよう
俺流営業はただの自己紹介だった。
そんな失敗談を経て考えに考え抜いた結論は、営業をやめてプレゼンすること。
例えば、家でも車でも物件を探してたら写真付きでその物件情報が載ったデータがあるよね。
あんなイメージだ。
自分の活動を紹介できる写真付きデータを頭の中で入れておいて、相手との会話に合わせて自分がそこで何を協力することができるかを伝えていく。
この方が自然に自分の得意なスキルを相手に伝えられると思うし、相手が求めてることをしっかりと聞くことができたらミスマッチ感も減るだろう。
「今何やってるの?」という質問にも「えーっとオケとかブラスで弾いたり、あとは吹奏楽の指導をしたりいろいろやってます。あ、でもたまにバイトとかしながら…」とか曖昧な返答をしちゃってたけど、そこで自分の活動を具体的に伝えられたらチャンスは広がるかもしれないよね。
30歳まで音楽を続けて感じること
今でも曖昧な返答をしてしまう時があるけど、誰かのラジオで耳にした「神社でプレゼンをする」というアイディアを取り入れて仕事に行く前に神社に行くようにした。
神社へ行けばお参りをして何かしらお願い事をするよね。でも、きっとそのお願い事をする時間は長くても1分くらいだと思うんだ。だったら、この1分をお願い事をする時間ではなく自分の活動をプレゼンする時間にしてみたらどうだろう?
どこで演奏してるの?主にレッスンしている地域、対象は?
1分でいきなり自分のことを話すのは難しい。
一度やってみると、いかに自分が自分のことを伝えられていないかわかった。
オーケストラから気持ちが冷めて
オーケストラの舞台に憧れて音楽大学へ入学したけれど、自分はオーケストラ(以下オケ)には向いてないと思い少しずつオケへの気持ちが冷めていった時期があった。
そして、はじめに書いたように卒業後もしばらくは人前で弾くとあんな感じだ。
「◯◯だったら××だよ」とネガティヴワードをよく耳にしており「変な演奏したら悪い噂が広まって呼ばれなくなるよ」といった言葉に囚われオーディションを避けてきた。
今まで在京オケのオーディションは一度も受けていないはずだ。
受けるかどうかは人それぞれだとしても、受けなければ何も始まらない。
皆と同じようにオケを目指していたのに自分はオケには向いてないと思ったら、方向転換をする必要があると思った。
いわゆる音大を出たてのフリー奏者の多くが進む道から少し外れてみようと思った。
オケを受けないこと、オケを目指していないことに関してはよく不思議がられたけど、当時は向いてないと感じた場所から外れた方が心地よかった。
自分が心地よい場所を探して、そこで頑張る。
自分の好きなこと、得意なことを掛け合わせていけばいい。
お前は何が好きで何が得意?
コントラバス教えるの、好きじゃなかったっけ。
30歳まで音楽を続けて感じること
周りと同じように歩んできて、その道を外れるのは怖いかもしれないけど、一度立ち止まって地図を開くように自分の進むべき道を見直すことは大事だよね。
方向転換をした方が良いと思ってたけど、方向なんて変わってなくて全部繋がってる。
オーケストラから気持ちが冷めて、回り道をしてまた今はオケが大好きになった。
卒業後のレッスンあれこれ
それほどでもない成績で卒業した僕が「どんな成績を残そうが、勝負は卒業してからだ!」と言えば負け犬の遠吠えのように聞こえるけど、厳しいオーディションを勝ち抜いてオーケストラ一筋で勤めてきた先生が言うと、とても説得力がある。
僕は大学を卒業したあと、習いたかった先生が講師をしている室内楽セミナーへ行き、以降もレッスンを受けに毎月自宅まで通っていた。
活躍してる人は、いつも勉強してるしいつまでも勉強を続けていて、その人たちと同じ土俵に立ち、とてつもない刺激を受けて練習するような環境は、大学を卒業したら自分で作り出す(足を運ぶ)しかないしと思っていた。
だから、卒業したあともレッスンやセミナーへ参加し学べたことはとても良かった。
そして、レッスンへ通っていない時期もある。
まさに今がそうだけれど、一つ感じた変化が「自分で物事を考える時間が増えた」ということ。
これを書いてる時点でいかに先生に頼ってたかが露骨に出てしまうけど、考え方が変わった。
自分で道を切り開いていかないとダメだと考えるようになった。
学んできたことを、一度全てアウトプットしてみようと思った。
もう少ししたら、また先生のところへ学びに行こうと思う。
30歳まで音楽を続けて感じること
「勝負は卒業してからだ」という言葉はとても心に響いたし、全くそうだと思った。ときに厳しい言葉をかけられながら、とてつもない練習量をこなせば圧倒的に成長するだろう。まだ知らない同世代の演奏に圧倒されるだろう。こうした刺激はとても大切だと思った。
でも、何かを発信したいと思った時「自分はまだまだなので」となりすぎるとマジでよくない。学び続けてる中でも、今の自分を発信することは大事だよね。
副業でレッスンはできない
音楽教室から部活動やサークルまで幅広く音楽を教えること、技術指導をする仕事をレッスンって呼ぶよね。で、この教える仕事を副業とかバイトって捉えられてしまうことがたまにある。
教えのバイト、副業でレッスン。
音楽教室の先生と話していたとき「でも、演奏の仕事やってないし」と言った言葉が気になった。
いやいやいや、演奏の仕事と教える仕事は求められるスキルが違うし、レッスンは音楽の裾野を広げるめっちゃ大切な仕事じゃないですか。
とっても専門性の高い仕事ですよね。
30歳まで音楽を続けて感じること
教える仕事はバイトや副業じゃない。でも、安価な値段で依頼されることも多いからバイト感覚なものとして捉えられてしまうこともあるのかもしれないね。
目標を持とう!アルバイトをしていることは恥ずかしくない
アルバイト生活をやっていると、たまに「俺は何やってるんだ」と、とてつもない悲壮感に襲われることがあった。
夜中に飲食店でバイトをしていたとき、お店の一押しメニューが書かれたのぼりを立てに外に出たときに、この生活がいつまで続くんだろうと思った。
そして、誰にもこの姿を見せたくなかった。
でも、この時は完全にバイトしてないと不安だからとバイトを続けていた。
完全に目標を見失っている状態で続けるバイトは精神衛生上良くない。
でも、何か目標があってバイトしてたら全然OKなはずだ。
自分はそこが足りなかった。
「バイトを辞める!」という目標でもいいと思う。
30歳まで音楽を続けて感じること
もしも、生活が不安だからとバイトを続けてたら思い切って辞めてしまうのも良いかもしれない。自分はそれでズバッと断ち切った。バイト辞めたら仕事が増える説はわりと信じてる。
なぜかって、状況を変えることで頭の回転率が上がるからだ。
これはまさに最近の話ね。夏が終わった頃、この先必要なお金を貯めるために、譜読みのスケジュールを前倒しして1日空いてる日を作って大丈夫な時に日雇いのアルバイトをはじめた。
月に2〜3回、スケジュールを前倒しして何もない日を作って働く。
この頻度では大きな額は稼げないけど、ちりも積もれば山となる。
そこにはいろんな人がいた。
たまたま時間ができた主婦、サラリーマンが副業で、いくつも仕事を掛け持ちしてる人。
物を運んだりシールを貼ったりシンプルな作業だけど違った世界で働くのは新鮮で楽しい。
でも、そんなことを始めた翌月に追突事故にあってこの作戦は終わった。
今は空き時間を作って病院へ行ってるけど、この話はまたお酒の席でね。
数が必要なとき、必要な人数が集まり「今日は◯◯へ」と伝えられたところへ行く。
ん?何か似てるぞ。
相手への不信感を見逃すな
この仕事をしていると、TwitterやFacebook、ブログなどをやっていたらお問い合わせフォームから仕事の依頼が届くことがある。
突然の連絡に「おぉ!」と嬉しい気持ちになるけど、冷静にメールを読んでいこう。
こちらがインターネット上に上がってる求人に応募した後も同じだ。
相手の対応に少しでも疑問に感じた部分があったら相手を徹底的に調べる。
本当に、少しでも疑問に思ったら疑ってかかろう。
少しの不信感も見逃すな。
以前、インターネット経由で受けた本番が立て続けにキャンセルになった。
会場を押さえる関係か、先に指定された額を振り込み公演後にギャランティと一緒に返金されるとの約束で書面も交わしたけど公演数日前まで音信不通、そして中止。
結局、こちらが抗議し預けた金額とキャンセル代として出演料の半分を請求したのち、しばらくして預けた金額だけ返金され、以降は音信不通のままだ。
インターネットで求人を見つけ、活動を調べ大丈夫だろうと会って話をして書面を交わした。
その後のメールのやりとりに少し不信感があったものの、せっかくだからと続けてたらこれだ。
これは疲れた、でも一つ学んだ。
30歳まで音楽を続けて感じること
相手の情報を知るということは、自分の身を守るためにも大切だよね。
そんなことは聞いてない
学生時代、卒業したばかりの頃かな。
初めましての人とは出身大学や誰に習ってるか、共通の友人の話で盛り上がる。
そんな時、聞いてもいないのに「でも◯◯は弾けないからね」とか「あんまり印象に残らなかったけどね」とかいう話を耳にしたことが何度かある。
嫌なことをされた実体験を話すのはいいけけど、風の噂は「そうなんだ」くらいに捉えておく。
「あの人はよく思われてないらしいよ」と「やらかしたって聞いた」とか風の噂に参加していたかもしれない。いや、してた。
でも、ちょっとだけ自分を棚に上げて話をすると、そんなことは聞いてない。
気をつけるようにしてる。
30歳まで音楽を続けて感じること
そういう人には会わなくなった。
旗を立ててワンクッションあって時間差で流行る
自分のタイムラインを思い返して書いているから、全く的外れだと思う人もいるだろう。
アイドル的な音楽家
- 何年か前に、アイドル的な売り方をする音楽家が出てきていろいろな声が上がった
- 中には音楽家が〜と批判的な声も多数あった(売り方は自由だと思う)
- でも、その後に同じようなスタイルでイベントを企画する会社や団体が増えた
音楽家のブログあれこれ
- 何年か前にブログで自分の経験、ノウハウを発信する人たちが出てきた
- すると、音楽家がブロガーみたいな凝ったブログをやるなんてみたいな批判的な声があった
- でも、SNSから仕事が生まれることが少しづつ浸透してきてブログを始める人が増えた
演奏動画あれこれ
- Twitterやyoutubeに自分の演奏動画を上げるのは他人の目が怖かった
- 実際に「若い奴がネットに演奏をアップしてるけど〜」みたいな声はあった
- youtuberの登場、プロアマ問わず演奏動画をアップする人が増えて動画を上げやすくなった
最後のはちょっと曖昧だね、上手くまとめられなかった。
でも、去年から演奏動画を上げるハードルは一気に下がったと思う。
30歳まで音楽を続けて感じること
何か新しいことが生まれるとワンクッションあって時間差で流行り始めることが多いように感じた。次は音楽家のマッチングサービスが流行るだろうと思ってる。あと若手音楽家のキャリア支援。いいなぁ、俺らの頃はなかったよ。
本業はいくつあってもいい
大学を卒業して数年後とかによく聞かれたことがいくつかある。
- プレイヤーになりたいの?
- 指導者になりたいの?
- 最終的にはどうしたいの?
プレイヤーになりたいし指導者にもなりたいし、最終的にはどうなってるかわからない。
ぶっちゃけ5年後の未来もわからない。
好きな人と幸せに暮らしている姿を妄想をしてるくらいで、もしかしたら違う仕事をしてるかもしれない。
でも、あえて言うならこんな感じだ
70年後くらいに誰かが色褪せた写真を見せて「あぁ、この人?若い頃の井口さんだよ。今はもう亡くなっちゃったけど、この人がいなければ吹奏楽のコントラバスはここまで発展してなかったと思うよ」とかそんな会話がどこかで生まれてたら嬉しいね。
あ、話を戻すね。
僕らは大学で学んだスキル(訓練して身につけた能力)毎にいろいろなカードを持っているよね。
- オーケストラ、吹奏楽、金管バンド、弦楽合奏、室内楽での演奏経験
- ピアノなど副専攻科目の楽器の演奏技術、知識
- ソルフェージュ能力、和声の知識、アドリブ、即興演奏
- 専攻楽器の演奏技術、知識、師匠の教え
一人一人のスキルはここからさらに細分化されるはず。
これらを組み合わせて、掛け合わせていくと思うとプレイヤー、指導者などと線引きをしなくても良いと思うんだ。
このカードを自分の「好き×得意」で掛け合わせていけばレアカードが生まれる。
このレアカードを何枚も作り出す。
つまり複数の本業を持つって考えたら視野が広がると思う。
複業だ。
帰り道に考えてみよう。
30歳まで音楽を続けて感じること
本業・副業ではなくて複数の本業を持つ「複業」という言葉が好きだ。こうした働き方に興味を持ったら「染谷昌利(著)複業のトリセツ」を買って読んでみよう。
いろいろな世界で活躍するフリーランスの働き方にはヒントがたくさん詰まっている。
ノーギャラ案件とどう向き合うか
「演奏してほしいけどお金が出せない」と言った案件がたまにある。
知人から「ちょっと演奏してくれる?」と頼まれると言ったこともあるようだ。
基本的に赤字になってしまうのでお断りしている。
でも、たまにお金を頂かずに仕事をすることもある。
本当に困った時はお互い様。
以前、人が足りないけどどうしてもお金が出せないという相談があった。
基本的にはNGだ。
でも、そこにはいつかまた会いたいと思ってた昔お世話になった人がいた。
自分も人集めに苦労した経験がある。
指揮者の方も好きだ。
こういう時、たまに引き受けることがある。
でも、また同じ条件で相談が来たら断る。
ノーギャラ案件に対する考え方は人それぞれだけど、僕はこう考えている。
30歳まで音楽を続けて感じること
気持ちよく引き受けられるもの以外は断る。
居心地の良いコミュニティを見つけよう
音楽家は孤独だ。
大学卒業後にアルバイトばっかりしてたころは寝るかさらうかバイトするかの生活だった。
今でもそうだけど、基本的に何もない日は家にいて練習してるかブログ書いてるか。
さっきも書いたけど、音楽家は孤独だ。
だからこそ、自分が居心地の良いコミュニティを見つけることはとっても大切。
同級生の室内楽チーム、オーケストラや吹奏楽団、地域の演奏家協会、指揮者・トレーナーで関わってるアマチュア楽団、音楽教室の講師コミュニティ(憧れてる)とかなんでもいいし、いくつあってもいい。
僕はそうした場所が今5つある。
ぴあにかーず、ルロット・オーケストラ、月曜吹奏楽団、板橋区演奏家協会、ブラス・エクシード・トウキョウだ。
30歳まで音楽を続けて感じること
お互いを高められる場所。みんなで集まって演奏する楽しみがある場所。心の底から「この人たちと音楽やりたい!」って思えるコミュニティは自分を支えてくれる。
ホームページを作ってみよう
「何か発信してみようと思って」といった相談を受けたら、まずは自分のホームページを作ってみたらと提案することが多い。
すると「ホームページとか作り方わからなくて」という声を聞くこともあるけど、1日かけて調べてみたら大体は解決する。
今は無料で見栄えの良いホームページを作れるサイトもたくさんあるから、ゲーム感覚、遊び感覚で作ってみればOK。
僕もゼロから始めたので最初は調べることにとても時間を使った。
でも、ホームページができたらネット上に自分のお店が開く。
そう考えてみると1〜2日捧げても良いと思う。
30歳まで音楽を続けて感じること
ここ数年でインターネット経由の仕事依頼が多くなってきた。
まずは訪問者視点で、あると嬉しい4つの情報を載せてみよう。
- プロフィール
- 自分の活動スタイル、考え方、伝えたいこと
- レッスン情報(必要あれば)
- お問い合わせフォーム
ホームページは24時間365日自分を営業してくれる。
日常に溢れる「いいね!」を見逃すな
演奏する他に、演奏会を作る時がある。
演出を考えたり、MC原稿やプログラムノートを書いたりすることもあるだろう。
ぶっちゃけ、最初は何をやればいいかわからなかった。
でも、日々の生活の中で「これいいな!」と思ったものたちが創作のヒントを与えてくれた。
今、コンサートのMC原稿やプログラムノートを書くことがある。
その時に役に立っているのは、小田急ロマンスカーの車掌さんの車内放送。
今はどうかわからないけど、当時一番新しいロマンスカーVSEは箱根観光に特化した車両だった。
VSEに乗務する人は特別な試験を受けて合格しなくてはならない。
晴れて合格後、VSEの乗務員として勤務ができる。
そして、箱根観光に特化したVSEは車掌さんが車内放送で箱根への旅を楽しませてくれる。
「このロマンスカーは新宿駅を定刻通り出発後、温泉情緒溢れる箱根の街へと向かいます」
こうした車掌さんのアナウンスには、MC原稿を書くヒントがたくさん詰まっていた。
30歳まで音楽を続けて感じること
日常で「いいね!」と直感的に感じるものには、もの作りのヒントがたくさん詰まっている。
遊ぼう!
大学生の頃は「遊ぶ暇があったら練習!」って感じでずっとコントラバスを弾いていた。
大学を卒業したら、とにかく遊ぶようになった。
全く真逆だ。
でも、遊びに行くことで仕事に繋がることが多くあった。
その一つはさっき書いた、日常に溢れる「いいね!」を見つける話。
エンターテイメントが溢れる場所にはアイディアが溢れている。
ディズニーランドなんて宝の山だ。
ディズニーランドに行くと、面白そうなセリフを聞いたらすぐにスマホにメモをする。
先日指揮をした月曜吹奏楽団の演奏会は、ハロウィンでお客さんを迎えてクリスマスでお見送りした。
このアイディアはSEKAI NO OWARI 野外ツアー2018 『INSOMNIA TRAIN』の入場ゲートと退場ゲートからヒントを得た。
ここまで何かしら音楽と絡めてきたけど、音楽のことを考えないでパーっと遊ぶのも楽しい。
朝6時に海老名に集まって伊豆へ行ったり、深夜0時を過ぎた頃まだ小田原にいる。
一つだけバカなことを言うね。
千葉県に住んでいる。
30歳まで音楽を続けて感じること
仕事と遊びの境目がなくなってくると「これ演奏会に使えそうじゃね?」って創造性が高まる。音楽のことなんか忘れてパーっと遊ぶのもいい。
雇われることに慣れないこと、時代の流れには乗っておくこと
最後はこれ。
僕たち音楽家は雇われていることに慣れちゃダメだ。
ぶっちゃけ雇ってもらわないと生活はできない。
誰かが必要としてくれて、仕事が生まれてそこでお金をいただく。
でも雇われていることに慣れていると、必要がなくなったときに後ろ盾がなくなる。
だからこそ、雇ってもらいながらも、自分でお金を生み出すことを考えていく必要がある。
本気で来てもらいたい演奏会のチケットを売る、ホームページを立ち上げて生徒を募集する、自主企画を立ち上げて黒字にする、自分の経験やノウハウを有料記事にして販売する、動画やブログを収益化させる、他にもたくさんあるはずだし、お酒の席で教えて欲しいくらいだ。
そして今、とてつもない速さで世の中が変わりつつある。
数年前の「普通」が普通ではなくなっている。
ゆとり世代である僕らが社会に出たとき、世間は「ゆとり世代」の価値観を叩いた。
でも、ここ数年で叩かれてた価値観が少しずつ認められているような気がしている。
こんな感じで世の中の価値観はどんどん変わって行ってると思う。
だから、その時代の流れには乗っておくようにしてる。
とくに、今の若い子(若い子っていうのがどの年齢層を指すのかは世代によって違う)はこんな風に考えるんだなって、そっちに歩み寄るようにしてる。
30歳まで音楽を続けて感じること
今、こんなのが流行ってるんだなってくらいでいいから流行りを知っておく。すると、自分にとって良い波が流れてきた時、その波に乗りやすくなる。
おわりに
「それほどでもない成績で音楽大学を卒業した僕が、30歳まで音楽を続けてきて感じたこと」というタイトルはちょっと前に思いつきました。
でも、なんか書く勇気がなくてそのままにしておいたんだけど、学年が下の世代から相談を受けるようになってきて、また先日ふと思い出してTwitterでつぶやいてみたら結構反響があったので、勢いで筆をとりました。
ここまで、勢いで一気に書いて一晩寝かせてまた書いて、10時間以上経ちました。
しっかり編集して文章を整えた方がいいかなと持ったけど、自分の胸の内から溢れる言葉をそのまま書いた方が伝わるんじゃないかって、ほぼそのままにしています。
最初に書いたように、僕は決して音楽で成功しているわけでもなく、現状に満足しているわけでもありません。
でも、ここ最近いろいろな人の話を聞かせてもらって、自分の体験談が何か背中を押すきっかけになったら嬉しいと思いこの記事を書きました。
俺が30まで音楽続けられたんだからいけるよ。
お互い頑張ろうぜ。