先日、タイムラインにとても共感するツイートが流れてきました。
『そういう意見が若手を萎縮させる原因だと思います。(引用)』ほんとにこれ。若手を萎縮させるようなことやってたらクラシック音楽の未来ない https://t.co/LBgvcqDb69
— 井口 信之輔 / コントラバス (@igu_shin) January 12, 2021
いつの時代も新しいことや、これまでと違うことをやるといろいろな声が聞こえてきます。
クラシック音楽界隈では
2015年頃から
ブログで活動日記ではなく奏法や楽器についてのノウハウ記事を発信する人が生まれた
2018年頃から
若い世代の音楽家にSNSに演奏動画を上げたりYouTubeをはじめる人が出てきてた
というような出来事がありました。
もっと早い人はその前からブログで発信を続け動画も投稿しているように思いますが、僕の周りではこの頃にこうした活動スタイルを展開していく人が増えてきたように思います。
この辺りの時代背景を踏まえて、コロナをきっかけに多くの音楽家が発信をはじめた今、SNSの活用について思うことを書いてみます。
先に結論を書くと、若手を萎縮させるような言葉や行動は、間違いなくクラシック音楽文化の衰退に繋がる。クラシック音楽文化の明かりを絶やさないためにも、あっちょっとだけ優しい世界になったらクラシック音楽の世界の未来は明るいと思う。
それをやってどうなるの?
ブログ、YouTube、ライブ配信などなど、こうして、誰かが今までやっていなかったようなことをはじめると
- それをやってどうなるの?
- 何がしたいの?
- 何を目指してるの?
というような声が届くというようなことがありました。
当時を振り返るとブログを書いてる人に向けて「そういうのはやめた方がいい」とか「何がしたいの?」というようなメールが届いたというような声も聞きました。
確かにまだ誰もやっていないことだけど、やってみないとわからなくない?
僕は匿名掲示板に実名で誹謗中傷を受けたことや、「あ、このツイート自分に向けて書いたんだろうな」と思う投稿を自分が発信した数分後に見かけるというのを経験したくらいで、そこまでひどいことを言われた経験はあまりないですが、「何がしたいの?」というようなことは聞かれました。
「何がしたいの?」や「何になりたいの?」に対する答え
クラシック音楽の世界で発信をはじめるといろいろな声が届くことがありますが、こうした質問の後にその人ならではの視点でアドバイスをくれたり、本当に応援してくれる気持ちで声をかけてくれる人もいるのでここはしっかりと書いておきたいところです。
話を戻して「何がしたいの?」や「何になりたいの?」という問いに関する答えって常に具体的なビジョンがあるわけでなく、わからないってことも多いんですよね。
- 何かしようと思ってはじめてみた
- 興味があってやってみた
- 自分もやってみようと思ってはじめた
- とりあえずやってみてる
自分の経験をもとに書くとこういったところ。
どれも具体的に〇〇になりたいといったビジョンもなく、とりあえずやってみるということ。
で、やってみて合わなかったら辞める。
これだけで、今の(ここ大事!)自分にこれは向いてないとわかる。
過去の体験から自分が目を背けていたことが実は得意分野だったりするので、自分の向き不向き実体験を通してを知ることはとても大切なので、これだけでも財産です。
今配信しているstand.fm(音声配信アプリでのラジオ番組)なんてまさにそうで、生まれつき吃音(どもり)があり、自分なりに克服してきたけど自分の声を聞くのが死ぬほど嫌だった自分が思い切ってラジオをはじめたら100日以上続けられるような分野だったという経験がありました。
とにかく、最終的にどうしたいかなんてわからないけどやってみる。
こんな感じが多いです。
なぜ、わからないのか
わからないけど、とりあえずやってみる。
僕たちがいるクラシック音楽の世界は一つのことを極めていくようなことが良しとされる風潮があり、その芸術家として職人としての生き様は最高にかっこいい。
だけど、冷静にこの世界を眺めてみると毎年たくさんの音大生が卒業し音楽活動をはじめることに対して仕事の数が圧倒的に少ないという事実があります。
この辺りは既にいろいろな場面で語られていますが、こうした事実に加えて
- 専攻楽器
- 社会情勢
- タイミング
- 運
- 身の回りの環境
- 自身の生活環境
こうした一人一人違う状況が重なり合って「じゃあどうする?」と考えるわけです。
で、自分がこの世界で仕事をしていくために活動を続けていくために、まだわからない未来に向けてどうするか試行錯誤する。
だから、「何がしたいの?」って言われても具体的にはまだよくわからないことって多いよね。
専攻楽器の技術は「足し算」発信は「掛け算」
自分がこの世界で仕事をしていくため、活動を続けていくために、まだわからない未来に向けてどうするか試行錯誤すると書きましたが、この試行錯誤っていうのがSNSでの発信だとします。
この話をする上で押さえておきたいのが専攻楽器の技術は「足し算」発信は「掛け算」ということ。
死ぬまで勉強、一生勉強と言うように音楽家である限りずっと音楽を追求していくと思います。
- レッスンを受ける
- 試演会に出る
- オーディションやコンクールを受ける
- セミナーに参加する
- 練習をする
と全て、日々の積み重ねで縦に経験を積み重ねていく足し算。
そうした中で、好きなことや得意なことに出会い横軸が生まれる。
ここが音楽(専攻楽器)×◯◯という掛け算。
情報感度の高い人たちが先陣を切る
そして情報感度が高い人、世の中の流れを見ている人が出会ったのがSNS。
- 音楽×ブログ
- 音楽×YouTube
- 音楽×Twitter
- 音楽×Instagram
- 音楽×LINE公式アカウント
- 音楽×TikTok
- 音楽×ライブ配信いろいろ
書いたらキリがないけれど、この掛け算をした先の答えなんて誰もわからない。
だから音楽家の中でも情報感度の高い人たちが新しいことに挑戦して先頭を切る。
Aという軸にBというスキルを掛け合わせ、さらにCというスキルを身につけ活動面積を増やしていく。A.B.Cと自分の面積(パイ)が広くなればパイの奪い合いに参加する必要もなくなり、SNSを通じて全国そして世界と繋がることができファンや応援者を作ることもできる。
でも、誰も知らない見たことないことだから「それってどうなの?」って疑問が生まれる。
そうした疑問が生まれたりするのは自然なことだけど、その中でたまに見聞きする若手を萎縮させるような言葉や行動は、間違いなくクラシック音楽文化の衰退に繋がると感じています。
雲の上の巨匠レベルでも音楽を追求し続ける世界なんだから、未熟なのは当たり前。
だけど専攻楽器を4年間(2年間)学び続けてきた時点で世間から見たら専門家。
その奏者が発信をしてあなたに何をした?
多分、何もしてない。
だけど、その一言が画面の向こうで誰かが描いてた未来を潰しにかかる。
特に上下関係、先輩後輩の関係が卒業しても続く世界だからこそ、上の世代と呼ばれる年代になったら次の世代が自分たちの知らないことをはじめたときに見守る余裕、または一緒にやってみるような器の音楽家になりたいと思う。
新しいことが「普通」に近づく2年の差
クラシック音楽の世界にはブログ、YouTubeをはじめライブ配信などをはじめる人が出てきていろいろな声が上がりその2年後に世間に浸透して多くの人が手をつけるという流れがあると感じてる。
実際、2020年に多くの人がはじめたものは過去5年間少なからずSNSで「音楽家が◯◯をやるのはどうなの?」という声が上がったものだらけ。
もちろん考え方は人それぞれあるけれど、過度な批判や誰かを萎縮させるような発言はいざ自分が発信する側になったとき、自分の可能性を殺してしまうこともあるので気をつけたいところ。
新しいことを受け入れにくい世界はさらに閉鎖的になり、時代の流れとともに変わる普通や常識とはかけ離れた普通が残されていく。
誰かを蹴り落として這い上がるような時代はとっくに終わり共存の時代。
個の時代は終わってコミュニティの時代とも言われているけど、2020年にコロナが時代を先に進めてこの先何年か経ってたどり着く未来がやってきて、また個が注目されているように思う。
だとしたら、最後はこんな言葉で締めようと思う。
おわりに
上の世代が築き上げてきたものをリスペクトしつつ今の時代の今の視点、それぞれの世代の価値観で音楽文化を継承していけばいいと思う。
それで、僕らの世代は発信という手段を選んだ。
誰かが萎縮して手を止めてしまうより、誰かの背中を押した方がいい。
コロナで多くの人が活動の場を失った今こそ、それぞれが描いてる未来に向けてそしてクラシック音楽文化の明かりを絶やさないためにも、あっちょっとだけ優しい世界になったらクラシック音楽の世界の未来は明るいと思う。